手島堵庵【てじま・とあん】 五楽舎跡と石門心学

手島堵庵が最初の心学講舎である五楽舎(ごらくしゃ)を設立。(明和2(1765)年)

手島堵庵が最初の心学講舎である五楽舎(ごらくしゃ)を設立。(明和2(1765)年)

弊社は京都のほぼ中心にあることもあって、近くには多くの史跡や名所があります。本社の斜め向かいには手島堵庵【てじま・とあん】が最初に最初の石門心学講舎である五楽舎(ごらくしゃ)があったことを示す石碑がたっています。

石門心学は倹約や正直,堪忍(かんにん)などを説き、この思想は,さまざまな形で老舗の家訓の中に残されて現在に至っています。弊社の家訓にもこの”堪忍の心”が受け継がれています。このように昔からの心意気が脈々と代々伝わってきており、このようなことが、わたしどもの強みになっていると考えています。

また、手島堵庵は『なせばなる なさねば成らぬ 成るものをならぬというはなさぬ故なり』(為学玉箒:いがくぎょくそう)や『心に迷いある時は人を咎(とが)む、迷いなき時は人を咎めず』という名言を残しています。

この手島の名言は、上杉鷹山の『生せは生る 成さねは生らぬ 何事も 生らぬは人の 生さぬ生けり』の言葉と非常によく似ています。

鷹山は米沢藩の財政を立て直すために倹約、産業振興を図りますが、この施策は石門心学を大いに参考にしているのではないかと思われるほどです。

鷹山が米沢藩を継いだのが1767年(鷹山16歳の時)、手島堵庵が、富小路通三条下るに、最初の心学講舎である五楽舎(ごらくしゃ)を設立したのが1765年(手島堵庵が47歳の時)です。鷹山が藩主として活躍するときに、心学の思想が米沢藩にも伝搬していたのではないかと思われるのは、興味深い事実です。

手島堵庵や石門心学については、また機会があれば触れてみたいと思います。

(参考:wiki によれば、鷹山の名言は武田信玄公を参考にしているとしています。当時は、このような考え方が比較的全国に広まっていたのかもしれません。)

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