時代祭の和宮(江戸時代婦人列)
2010年10月22日に時代祭がありました。時代祭は平安建都1100年を記念して始まった京都三大祭りのうちの一つです。
建都という言葉は桓武天皇自ら用いたもので、当時の新しい都に対する強い意気込みを表していると言われてます。桓武天皇は794年(延暦13年)10月21日に当時の首都であった長岡京を廃都宣言し、そのまま、葛野(かどの)と呼ばれた京都に移りました。そして10月22日に遷都宣言し、京都は日本の首都になりました。平清盛が福原に一度遷都しましたが、それ以降遷都宣言は、なされていません。
時代祭は、京都の視点から行列が構成されています。佐幕派であった新撰組は、今でも行列に加わっていません。つい最近まで室町時代の足利尊氏らの北朝の行列はありませんでした。
掲載の写真は、和宮です。この写真は弊社から徒歩5分程度の御池通りから撮影しました。和宮は幕末の公武合体策に翻弄されたヒロインです。内親王の地位で征夷大将軍である徳川家茂のもとに降嫁します。
このとき、
「住みなれし都を出でて今日行く日いそぐもつらき東路の旅」
「惜しまじな君と民とのためならば身は武蔵野の露と消ゆとも」
と詠み、心情を察するに余りあります。夫婦となった後は、家茂を大切に慕うよき妻になったそうです。
京都には、いろいろな人の思いと歴史があります。これらの思いを大切にして、未来につなげていきたいと思います。
関連検索キーワード
下記のキーワードをクリックして関連項目を検索できます。